『組曲虐殺』

井上ひさし没後10周年記念連続公演、銀河劇場「組曲虐殺」を観た。


小林多喜二とそれを追う二人の刑事、多喜二の周りにいた三人の女性の計六名で行われる3時間越えの舞台。それに加えてピアノの生演奏があり、井上芳雄をはじめとするキャストが素晴らしい歌を聞かせてくれる。

 

井上ひさしが最後に書いた作品ということで、これまで彼が書いて来た人類愛、平和主義、さらにそれがが教訓臭くならずにコメディとして描いているという井上ひさしの特徴が本当によく表れた作品であった。多喜二の政治思想から、赤狩り、当時の社会情勢を個人から見たという描き方は非常に大きな題材であるが、ラストでは「本棚に彼がいる限り」という台詞があるように1人の芸術家の生き様が垣間見れる作品である。しかも今回の栗山民也演出では、多喜二を演じた井上芳雄の写真をスクリーンに映写機的に投影するなど、それが顕著にわかる演出で、多喜二を偲ぶことで、この作品を書いて亡くなった井上ひさしという芸術家を偲んでいるような演出であった。

 

さらに、喫茶店で多喜二を追い詰めたシーンで、山本巡査が多喜二に小説の添削を頼るシーンでは、「こんな時代だからこそ文章、芸術の力が必要だ」と訴える作者の意図が見える。コミカルな役どころだが、多喜二にとっては敵である刑事二人に対しても、常にフェアな態度をとる多喜二は、活動家でなく芸術家である。井上ひさしは思想ではなく芸術を描き続けた劇作家なのだと感じた。

 

舞台セットはセンターに正方形のステージがあり、そこにスライド式で様々な模型がくっつくというもの。上方の枠然り、なんとなく窮屈な雰囲気がある一方で、それがそんな姿にも変わるという点は、多喜二にとっては生きにくい世の中であったが、彼の文章には大きな可能性があったということが示唆されているのではないだろうか。
また、ピアノの位置だが、今回は舞台奥の中央にはめ込まれる形であったが、戯曲では舞台上で後方からスライドしてくるというト書きがあったためそちらの方が良かったのではないかと感じる。組曲虐殺という題名通り、辛い世の中をみんなのコーラス、ハーモニーでユーモラスに描き、そのハーモニーにピアノも混ぜても良かったのでないか。今回では完全に枠の外の存在になってしまっていた。ただ客席数700以上の銀河劇場では、空間を埋める必要があったこともよく分かる。

 

井上芳雄の歌は素晴らしく、また、喫茶店のシーンのラストでチャップリンの歩き方で退場するシーンは見事な動きを見せていた。マイクなしとは思えない声量でハマり役である。また今回の演出は意図的に過剰だと思わせる部分が多かったが、大女優、高畑淳子と神野三鈴はその期待によく答え、ユーモラスかつ魅力的に演じていた。

 

天皇即位の儀式と同じ週に観たためか、とても考える部分があり、井上ひさしの芸術感を堪能できる作品であった。